真説 賃貸業界史 第32回~なぜ不動産王は、生まれては消えていくのか?~|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
豆知識

2020.10.12

真説 賃貸業界史 第32回~なぜ不動産王は、生まれては消えていくのか?~

真説 賃貸業界史 第32回~なぜ不動産王は、生まれては消えていくのか?~
常に破綻と背中合わせのビジネスモデル

 9月10日、“姫路の不動産王”と呼ばれた大川護郎オーナーの経営するANGELO(兵庫県姫路市)が、銀行取引停止となったことが明らかになった。過去にも“賃貸王”“不動産王”と呼ばれた大オーナーは何人もいたが、そのほとんどは無理な事業拡大が仇となり、最後は資産の大半を失っている。このままいけば、大川オーナーも同様の末路を辿る可能性が高そうだ。今回は、かつて一時代を築いた不動産賃貸業者を振り返る。

 大川オーナーはもともと、新聞配達で生計を立てていたが、個人で始めた不動産賃貸業がうまく軌道に乗ったことから法人化。2013年に、兵庫県姫路市にANGELOを設立し、神戸市や大阪市にあるアパート・マンション、テナントビル、月極駐車場などを取得し、事業拡大を進めていた。大川氏自らが広告塔となって書籍の出版や講演活動などを精力的に行った結果、メディアでもたびたび取り上げられるようになり、一躍時の人となった。保有物件はわずか10年足らずで5000戸を超え、大川氏自身の年収は最大で24億円にも上ったとされる。
一介の新聞配達員から身を興した男が、不動産賃貸業で成功して巨万の富を手にしたという話は、いかにも世間受けしそうなサクセスストーリーだ。メディアがこぞって取り上げたのも無理はない。しかし、古今東西、急な事業拡大が長続きした例はない。大川氏自身、駆け出しの頃は、収益性をきちんと見極めたうえで物件を購入していたはずだ。だからこそ、総額125億円とも言われる借入ができたはずだ。だが、世間からの注目が集めるようになると、物件を増やすことに躍起になるあまり、肝心の収益性の見極めを疎かにしてしまったのではないだろうか。事実、最近取得した物件の稼働率は軒並み低調で、返済計画を大きく狂わせた。一方で何とか入居率を上げようと、仲介会社に過剰な広告宣伝費を支払ったことで資金繰りはますます悪化。多額の金利負担も重くのしかかり、2019年2月期には5億9300万円もの赤字を計上してしまった。
いったんはまった負のスパイラルから抜け出すことは容易ではない。大川氏は状況の打開を試みるものの好転せず、結局、経営は行き詰まってしまった。現時点ではまだ、ANGELOは倒産してはいないものの、予断を許さない状況が続いている。仮に経営破綻となれば、市場に一気に5000戸もの賃貸物件が売りに出されることになる。ただでさえ、新型コロナの影響で不動産価格が下落している中、さらにこれだけ大量の物件がまとめて売りに出されるようなことになれば、市場はさらなる混乱に陥ることになる。同社の命運は、金融機関次第だ。
バブル時代の不動産王といえば、真っ先に名前が挙がるのは末野興産を率いた末野謙一氏だろう。大阪万博で儲けた末野氏はその後、いくつかの会社を作っては倒産させる繰り返した後、1979年に末野興産を設立。金融機関が処理に困った事故物件(抵当権などが付いていて複雑な処理が必要な物件)を一手に引き受けることで急成長を果たした。80年代には、大阪の北新地やミナミなどの繁華街には、「天祥」と名付けられた同社のビルが、あちこちに点在していた。一説によると、所有するビルの数は全国で200棟にも達していたという。末野氏自身の生活ぶりも華やかで、毎晩のように北新地の高級クラブで飲み歩き、吹田市にあった自宅は鉄筋三階建ての大邸宅だったそうだ。
そんな末野氏が率いた末野興産は、住宅金融専門会社、いわゆる住専からの融資2549億円を焦げ付かせた末、1996年に経営破綻した。その際に末野氏は、資産隠しをしていたことが発覚し、最終的に実刑判決を受けた。巨額の融資を焦げ付かせたことや、借金の返済ができなくなったにもかかわらず自身の財産はしっかり貯め込んでいたことなど、経営者としての資質を問われる行為は多かったが、一方で、剛腕でならした末野氏だからこそ、バブルという狂喜的な時代の中で、末野興産を、日本を代表する不動産賃貸業者に成長させることができたのだという評価もある。
「歌う不動産王」と呼ばれた歌手の千昌夫氏も、2000億円とも3000億円とも言われる総資産を築きながら、バブル崩壊とともにほとんどの資産を失った一人だ。千氏に転機が訪れたのは1970年頃。ヒット曲の印税を元手に、仙台郊外に約5万坪の山林を購入したところ、東北新幹線が着工が決まったことで地価が10倍にまで跳ね上がった。すると千氏は、これを担保に金融機関から多額の融資を受けて次々に不動産を購入。勝った不動産を担保に新たな融資を受け、また次の不動産を購入するというスキームで事業を拡大させ、80年代の終りには、110棟を超えるビルやマンションを所有するまでになった。不動産の購入は国内だけに留まらず、ハワイやオーストラリアなどにも及んだという。しかし、バブル崩壊で土地の価格が下がると状況は一転。2800億円もの負債を返済するために所有する資産を次々に売却し、最終的に1000億円の負債を残して倒産した。
一代で日本を代表するような不動産賃貸業者になれるのは、ほんの一握りの人だけだ。しかし、莫大な資金が必要な不動産を数多く所有するということは、それに匹敵するぐらい多額の借金を抱えているということだ。これは、物件を増やすための一連のスキームが滞りなく回っているときは良いが、一度歯車が狂ってしまうと、誰にも止めることができない。不動産王とは、短命に終わることを宿命づけられた存在なのかもしれない。