闘将野村「新経営論」 監督と選手 社長と従業員|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
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2017.03.10

闘将野村「新経営論」 監督と選手 社長と従業員

野球解説者・評論家 野村克也
(聞き手) 住生活新聞

監督と選手 社長と従業員

 本紙の読者は経営者や起業家も多い。今回はそんな読者から要望の多かった『新経営論』を掲載したいと思い、是非にと野村克也氏に対談をお願いした。言わずと知れたプロ野球の名監督である。
 球団における監督の立場は、野球という実務での最高指揮者だ。会社でいえば社長にあたるだろう。
 経営されている方々にとっては、投資・運営・教育・シェア・金主・人材不足など多くの悩みを抱えて運営している企業がほとんどだろう。
 野村氏は多数の球団の監督を渡り歩き、それまで芽の出なかった選手までも活躍させるその手腕は『野村再生工場』と言われた。今回、対談をお願いした理由だが、弱小球団を強くしていくその過程は、今起業している中小企業にとって、人も金もそろった大企業の成功事例を知るよりも面白いと思ったからだ。
 そこには、現代に通じる『新経営理論』がある。
 野村氏の成功に至るまでの苦悩や、人の使い方、オーナーとの確執。そこには共感できる中小企業の悩みがある。
 この対談が、今後の経営の糧になれば幸いだ。
闘将野村「新経営論」 監督と選手 社長と従業員
会社に訪問に行った時によく言われる言葉がある。
 『うちにはやる気のある社員がいないからね』
 『最近の若い子は、以前のように働かないからね』
 『何度言ってもダメなんだよ』…そう、愚痴にはきりがない。
 従業員とは名の通り〝従う〟社員という事だが、昔は社長も上司も厳しかった。嫌なことは毎日のようにあったが、仕事だからと思って従った。
 今は違う。「労働基準監督署に行ってきます」「ブラック企業とマスコミに言います」
 そろそろ従業員という言葉の新語を創らないといけないのかも知れない。

 「野村監督、4球団渡り歩いて、やはり昔の選手と最近の選手の時で育て方が違うのですか?」そう聞くと、全然違うよ、といつもの野村節で語ってくださった。

【野村氏】我々の時と今ではもう180度違う。
 何が違うかって、我々の選手時代はコーチ・監督は戦争経験で軍隊の経験者でその代表的なのが、南海の時の※鶴岡監督。軍隊用語が頻繁に出てくる。連帯責任とか営倉(えいそう)もんとかね。お前ら営倉もんじゃ!って怒られるの。
 はじめ営倉もんてわかんないけど牢屋に入れるってそういう意味なの。

 営倉とは大日本帝国陸軍に存在した、下士官兵に対しての懲罰房である。
 当然、今の時代そんなことを言ったらそこに入社したいと思う会社員は皆無である。
 ただし、2000年頃まではそのような会社も多数あった。私も新入社員の時の研修が無人島で1か月間だった。建物や生活設備はあるにしても、第2次世界大戦中の毒ガス兵器開発の島である。週に1回しか船が来ない。初めの数日こそ会社や方針に不満を漏らすが、そこでの世界がそのようなルールであれば、いつしか考え方もルールもそれに沿ったものに変わっていく。マインドコントロールである。1週間もすればその状況に順応し、そこで上司に認められたいと居場所を作るのである。
 違う世界の人間から見ると、大変だねと思われるかもしれないが、世界の物差しが違うから、そのような感覚がないのだ。
 野村監督の頃も今ではおかしいと思うかもしれないが、それが時代であり、それがその時のルールである。もしかしたら、50年後の人が今をみたら、またそれもおかしいと思うのかもしれない。

〔住生活新聞〕─監督は選手にそういう気持ちはあったけれど、そこまで厳しいことは言わなかったということですか?

【野村氏】やっぱりどんな監督でも自分が影響を受けた監督って必ずいるんだよ。俺は冷静に考えてもやっぱり鶴岡さんだ。
 敵の球団の社員をめちゃくちゃ褒めるんだよ。自軍の選手はけちょんけちょん。
 「お前ら見とけよ!あれがプロだ!見習えよ!」って。

〔住生活新聞〕─それを聞いた監督は何くそ!と思うのか、そんなことないと思うのですか?

【野村氏】まぁ、人間自己愛で生きているわけだから、ましてや俺はテスト生で入ったから誉め言葉が欲しいわけよ。
 それで鶴岡監督っていうのは、自軍の選手を絶対褒めないってことで有名だったから、褒められた人は誰もいないんだよ。その監督と球場ですれ違ったの。当然「おはようございます!」って挨拶するわけだよ。返事なんてまずしてもらったことないのよ。それがその日は機嫌が良かったのか。
 「おぉ~!お前良うなったな!」って。
 20年いても後にも先にも褒められたのは、これ1回だけ。
 認めてもらっているって凄い自信になったよ。

 そこには、監督ではない。選手時代の野村選手が私の前にいた。その目は、先ほどまでの厳しい目と違い。若者の明日を見る目だ。
 鶴岡監督もまた、野村監督という名監督を生んだ名監督だった。


※鶴岡 一人
(1916年─2000年)
プロ野球選手・監督、野球解説者。南海ホークスの黄金時代を築いた日本プロ野球史を代表する名監督の一人。
闘将野村「新経営論」 監督と選手 社長と従業員
野村 克也
1935年6月29日生まれ
野球解説者・評論家。元ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルス監督。元プロ野球選手(捕手)で、戦後初・捕手として世界初の三冠王を獲得。データを重視するという意味の「ID野球」(造語)の生みの親でもある。「何よりも自分は働く人間」と語っており、幼少期から80歳を過ぎた現在でも休まずに仕事に取り組む姿勢は、野球ファンのみならず、経営者にもファンが多い。