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2016.09.29

田原総一朗 時代を読む

待機児童とベンチャービジネス

 現在、私は毎週のように、若い、いわゆるベンチャービジネスを立ち上げた経営者たちと会っている。会って、話を聞いているのだ。
 非常に面白く、彼らがつくる未来に期待できると強く感じている。
 彼らの多くは、実はビジネスが中心ではない。金を稼ぐためにビジネスを行っているのではないのだ。
 彼らのメインテーマは、この社会を変革することである。社会を変革するためにビジネスを行っているのである。
 たとえば駒崎弘樹という人物がいる。
 彼は〝フローレンス〟というNPOを経営している。一般の保育園は、子どもが熱を出すと預かってくれない。そこで親が看病しなければならない。しかし、子供を保育園に預けている母親は、ほとんどが仕事を持っている。つまり企業で働いている。そして、病児の看病をするためには企業を休まなければならない。だが、企業は休むのをいやがるし、下手をすると辞めざるを得なくなる。
 そこで、病児保育ということを考えたのだという。
 保育のできるスタッフを登録してもらって、病児が出たとわかれば、スタッフを派遣する。保育スタッフも、ユーザーの方もインターネットで通じ合えるようになっていて、2005年にサービスを開始した。現在までの累計の病児保育回数は、何と約3万回を超えているようだ。
 病児が生じると、母親が会社を休まなければならなくなる、という弊害をなくすために、病児保育というシステムをつくった。つまり社会のあり方を変革するために起業したわけである。こうしたケースをソーシャル・ビジネスというが、現在の若いベンチャービジネスの経営者たちの多くは、ソーシャル・ビジネスなのである。
 駒崎氏は、さらに小規模保育に取り組んだ。
 現在、待機児童は、潜在待機児童を含むと、85万〜100万人いるといわれている。
 原因の一つが、20人以上でないと保育園をつくれないという規制である。
 ところで、町には空き家がたくさんある。そこで、空き家を利用して、規制を緩和し、小規模保育をできるようにすれば、待機児童が減らせる日が、と駒崎氏は考えて、マンションや一軒家を使った〝おうち保育園〟をはじめた。しかし、普通にやったら公認されないので、当時の官房副長官である松井孝治氏に働きかけて、実験事業としてやることになった。
 駒崎氏にいわせると、アイデアを出し、それを実験の形でやってみせて、政府にパクらせるのだという。こうしたたくましい世代がぞくぞく登場しているのである。
田原総一朗 時代を読む
田原 総一朗 ジャーナリスト

1934年滋賀県彦根市生まれ 早稲田大学文学部卒業
岩波映画製作所 テレビ東京を経て、‘77年フリーに。現在は政治・経済・メディア・コンピューター等、時代の最先端の問題をとらえ、精力的な評論活動を続けている。テレビ朝日系で‘87年より『朝まで生テレビ』などでテレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、‘98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸賞)を受賞した。現在BS朝日「激論!クロスファイア」にも出演中。著書多数。