2016年7月東京のホテルにて
本紙の読者は経営者や起業家も多い。今回はそんな読者から要望の多かった『新経営論』を掲載したいと思い、是非にと野村克也氏に対談をお願いした。言わずと知れたプロ野球の名監督である。
球団における監督の立場は、野球という実務での最高指揮者だ。会社でいえば社長にあたるだろう。
経営されている方々にとっては、投資・運営・教育・シェア・金主・人材不足など多くの悩みを抱えて運営している企業がほとんどだろう。
野村氏は多数の球団の監督を渡り歩き、それまで芽の出なかった選手までも活躍させるその手腕は『野村再生工場』と言われた。今回、対談をお願いした理由だが、弱小球団を強くしていくその過程は、今起業している中小企業にとって、人も金もそろった大企業の成功事例を知るよりも面白いと思ったからだ。
そこには、現代に通じる『新経営理論』がある。
野村氏の成功に至るまでの苦悩や、人の使い方、オーナーとの確執。そこには共感できる中小企業の悩みがある。
この対談が、今後の経営の糧になれば幸いだ。
対談開始にあたって野村克也氏は、「俺に経営なんて、お門違いじゃないか?」とにやりと笑って答えた。もう80歳を過ぎる野村氏だが、テレビと変わらずなんともチャーミングでやさしい目をしている。
教育論
─ 長い間、監督業をされていましたが、昔の選手と最近の選手では育て方は違うのですか?
【野村】 180度違う。自分が選手だった時、当時の監督は軍隊経験者だから、教え方も軍隊だった。
冷静に考えると、自分が影響を受けた監督って言うとやっぱり※鶴岡さんだけだ。
鶴岡さんは敵球団の選手を
めちゃめちゃ褒める。だが自分の選手はけちょんけちょん。
「お前らよう見とけ、あれがプロだ!見習えよ!」と。
─ 監督は、その時どう思われたのですか?
【野村】 人間結局みんな自分がかわいい。
まして、俺はテスト生で入ったから、褒め言葉が欲しいわけだよ。褒めて欲しい。
鶴岡監督は、褒めないので有名だったんだ。褒められた人は誰もいない。
選手時代、鶴岡監督と廊下ですれ違った時、今まで挨拶して返事なんてしてもらった事がなかったのだが、その日は機嫌が良かったのか「おはようございます」って言ったら、「おう、お前良うなったな」。
後にも先にも褒められたのはこれ1回だけ。すごい自信
になった。あぁ、認めてもらえたんだ、と。
あの感動は、まだ耳に残っている。
※鶴岡 一人
(1916年─2000年)
プロ野球選手・監督、野球解説者。南海ホークスの黄金時代を築いた日本プロ野球史を代表する名監督の一人。
褒める
【野村】 現在は、褒めて育てる。なんでも褒めるという風潮がある。
家族、先生、身内と歳上のものが褒めて育てる。多少のことでも大げさに褒める。
だけど、社会人になると褒めてくれない。
80歳になっても記憶に残る褒め方と言うのがあっても良いと思う。
相手を気持ちよくさせるだけの褒め方ではその人の人生は変えられない。
同じ褒めるのでも、褒めて欲しい(認めて欲しい)と褒めてあげる(認めてあげる)では
180度違う。
─ では、監督は選手を使う時は、褒めて使うのですか?叱って使うのですか?
【野村】 褒めるとか叱るってことは、どういうことなんや?それの根本にあるのは愛情なんだよ。
感情で褒めたり叱ったりするのは相手も人間だからわかるんだよ。伝わるんだよ。
憎たらしい奴だと思って叱るでしょ。すると、すごい根に持つから。
この選手を何とかしてあげたい、うまくなって欲しいという思いがあった中で叱ったり褒めたりすると、人間だから通じるんだよ。不思議だよね。いちいち説明しなくてもわかるんだよ。
─ ついつい感情で、自分の
出世や自分の給料欲しさに上司が部下を叱っても会社の士気は上がらないし、親の見栄の為に子供を叱っても子供もそれを理解する。難しいですよね。
【野村】 やたらと褒めちゃいかんのだよ、褒める叱るというのはタイミングが必要。
─ 私もいろんな会社に訪問させていただくと、中小企業の社長さんみなさん「いい人の求人が出来ないんだよね」って言われるのです。
大手企業ならば、広告も出せるし給料も出せる。大手球団の様に良い人材が取れない場合はどうしたらよいのでしょうか?
【野村】 その考えは間違っているよ。人間本当に悪い人間っていないんだ。勘違いだよ。
その時点でリーダー失格だよ。悪い人間なんていないんだよ。
ただ、相手も自己愛で生きているっていうことを上に立つ人は忘れちゃいけない。みな自己愛で生きているということを忘れちゃいけない。みんな世界中で自分が一番可愛い。
いくら好きな女性が出来ても愛しているのは自分。そこを忘れちゃいかん。
だから、叱るにしても褒めるにしてもタイミングが大事なんだ。
──次回に続く──
本紙の読者は経営者や起業家も多い。今回はそんな読者から要望の多かった『新経営論』を掲載したいと思い、是非にと野村克也氏に対談をお願いした。言わずと知れたプロ野球の名監督である。
球団における監督の立場は、野球という実務での最高指揮者だ。会社でいえば社長にあたるだろう。
経営されている方々にとっては、投資・運営・教育・シェア・金主・人材不足など多くの悩みを抱えて運営している企業がほとんどだろう。
野村氏は多数の球団の監督を渡り歩き、それまで芽の出なかった選手までも活躍させるその手腕は『野村再生工場』と言われた。今回、対談をお願いした理由だが、弱小球団を強くしていくその過程は、今起業している中小企業にとって、人も金もそろった大企業の成功事例を知るよりも面白いと思ったからだ。
そこには、現代に通じる『新経営理論』がある。
野村氏の成功に至るまでの苦悩や、人の使い方、オーナーとの確執。そこには共感できる中小企業の悩みがある。
この対談が、今後の経営の糧になれば幸いだ。
(聞き手) 住生活新聞
対談開始にあたって野村克也氏は、「俺に経営なんて、お門違いじゃないか?」とにやりと笑って答えた。もう80歳を過ぎる野村氏だが、テレビと変わらずなんともチャーミングでやさしい目をしている。
教育論
─ 長い間、監督業をされていましたが、昔の選手と最近の選手では育て方は違うのですか?
【野村】 180度違う。自分が選手だった時、当時の監督は軍隊経験者だから、教え方も軍隊だった。
冷静に考えると、自分が影響を受けた監督って言うとやっぱり※鶴岡さんだけだ。
鶴岡さんは敵球団の選手を
めちゃめちゃ褒める。だが自分の選手はけちょんけちょん。
「お前らよう見とけ、あれがプロだ!見習えよ!」と。
─ 監督は、その時どう思われたのですか?
【野村】 人間結局みんな自分がかわいい。
まして、俺はテスト生で入ったから、褒め言葉が欲しいわけだよ。褒めて欲しい。
鶴岡監督は、褒めないので有名だったんだ。褒められた人は誰もいない。
選手時代、鶴岡監督と廊下ですれ違った時、今まで挨拶して返事なんてしてもらった事がなかったのだが、その日は機嫌が良かったのか「おはようございます」って言ったら、「おう、お前良うなったな」。
後にも先にも褒められたのはこれ1回だけ。すごい自信
になった。あぁ、認めてもらえたんだ、と。
あの感動は、まだ耳に残っている。
※鶴岡 一人
(1916年─2000年)
プロ野球選手・監督、野球解説者。南海ホークスの黄金時代を築いた日本プロ野球史を代表する名監督の一人。
褒める
【野村】 現在は、褒めて育てる。なんでも褒めるという風潮がある。
家族、先生、身内と歳上のものが褒めて育てる。多少のことでも大げさに褒める。
だけど、社会人になると褒めてくれない。
80歳になっても記憶に残る褒め方と言うのがあっても良いと思う。
相手を気持ちよくさせるだけの褒め方ではその人の人生は変えられない。
同じ褒めるのでも、褒めて欲しい(認めて欲しい)と褒めてあげる(認めてあげる)では
180度違う。
─ では、監督は選手を使う時は、褒めて使うのですか?叱って使うのですか?
【野村】 褒めるとか叱るってことは、どういうことなんや?それの根本にあるのは愛情なんだよ。
感情で褒めたり叱ったりするのは相手も人間だからわかるんだよ。伝わるんだよ。
憎たらしい奴だと思って叱るでしょ。すると、すごい根に持つから。
この選手を何とかしてあげたい、うまくなって欲しいという思いがあった中で叱ったり褒めたりすると、人間だから通じるんだよ。不思議だよね。いちいち説明しなくてもわかるんだよ。
─ ついつい感情で、自分の
出世や自分の給料欲しさに上司が部下を叱っても会社の士気は上がらないし、親の見栄の為に子供を叱っても子供もそれを理解する。難しいですよね。
【野村】 やたらと褒めちゃいかんのだよ、褒める叱るというのはタイミングが必要。
─ 私もいろんな会社に訪問させていただくと、中小企業の社長さんみなさん「いい人の求人が出来ないんだよね」って言われるのです。
大手企業ならば、広告も出せるし給料も出せる。大手球団の様に良い人材が取れない場合はどうしたらよいのでしょうか?
【野村】 その考えは間違っているよ。人間本当に悪い人間っていないんだ。勘違いだよ。
その時点でリーダー失格だよ。悪い人間なんていないんだよ。
ただ、相手も自己愛で生きているっていうことを上に立つ人は忘れちゃいけない。みな自己愛で生きているということを忘れちゃいけない。みんな世界中で自分が一番可愛い。
いくら好きな女性が出来ても愛しているのは自分。そこを忘れちゃいかん。
だから、叱るにしても褒めるにしてもタイミングが大事なんだ。
──次回に続く──
野村 克也
1935年6月29日生まれ
野球解説者・評論家。元ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルス監督。元プロ野球選手(捕手)で、戦後初・捕手として世界初の三冠王を獲得。データを重視するという意味の「ID野球」(造語)の生みの親でもある。「何よりも自分は働く人間」と語っており、幼少期から80歳を過ぎた現在でも休まずに仕事に取り組む姿勢は、野球ファンのみならず、経営者にもファンが多い。
1935年6月29日生まれ
野球解説者・評論家。元ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルス監督。元プロ野球選手(捕手)で、戦後初・捕手として世界初の三冠王を獲得。データを重視するという意味の「ID野球」(造語)の生みの親でもある。「何よりも自分は働く人間」と語っており、幼少期から80歳を過ぎた現在でも休まずに仕事に取り組む姿勢は、野球ファンのみならず、経営者にもファンが多い。