闘将野村「弱小企業を一流へと導く新経営理論」(第31回)|インタビュー|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
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2022.08.01

闘将野村「弱小企業を一流へと導く新経営理論」(第31回)

闘将野村「弱小企業を一流へと導く新経営理論」(第31回)
14 マーケティングの極意-敵を知って己を知れば百戦して危うからず①

敵を知るために、野村監督はライバル投手の情報収集を始める。

-3割打てるようになっても、みんなそんな真似をしようとしなかったのですか?

野村 そういうのを敵に知られたくないのもあって、今はビデオがあるから便利だけど、16ミリしかない時代に相手ピッチャーの投球フォームを16ミリで撮ってもらって、それを擦り切れるくらい観たよ。それが大投手、稲尾攻略に繋がるんだけどね。当時の監督は嫌味なことばっかり言う人で、「おはようございます」って挨拶すると、「お前は安物ピッチャーはよく打つけど一流は打てんの!」って言われて。そのときはちょうど西鉄ライオンズがライバルで常に優勝争いしているチームだった。言われてみれば確かにエースの稲尾(※)からは打ててなかったのよ。

※稲尾和久 多くの逸話を残した選手であるが、一番有名なセリフが「神様、仏様、稲尾様」だろう。読売ジャイアンツと対戦した日本シリーズで、稲尾選手は7試合中6試合に登板し、第3戦以降は5連投。5試合に先発し4完投し、優勝に貢献した。

 野村監督は、稲尾選手の変化球による絶妙な左右への揺さぶりと、その完璧な制球力を絶賛しており、「技巧派」の投手の代表格として稲尾選手の名前を挙げている。直球については「稲尾のストレートは当てられないほどではないが、凡打、三振させられてしまうのは、その球質に原因がある。急速、球威が最後まで衰えない、いわゆる「球がホップする」球質だ。稲尾の休息は145キロ程度、しかし手元でよく伸びてくる。体感速度が早い。『来たっ!』と思ってバットを振ったときには、ボールはすでに手元まで来ている。だから差し込まれてしまう」と語っている。

野村 当時はボールの握りが見えたからね、その癖を掴んで稲尾攻略に成功したんだよ。それをオールスターのときに、稲尾・杉浦(※)・オレの3人でセ・リーグのバッティング練習を見ていたときに、杉浦が「野村はよ~く研究してるいるで」ってバラしちゃったの。

※杉浦忠 1959年の南海VS巨人の日本シリーズで大きな伝説を作っている。南海の鶴岡監督はそれまで、巨人に一度も勝っていなかった。しかしエースの杉浦が巨人の前に立ちはだかる。杉浦は第1戦の先発で8回、第2戦は5回からリリーフで登板。第3戦は先発で延長10回を完投。第4戦も先発し9回完封。何と4連投4連勝を実現した。杉浦投手は史上最強のアンダースロー、立教三羽ガラス、幻の大リーガーなど、多くの異名を残した。野村監督も「杉浦忠のボールは右打者の背後からカーブで曲がってくる。そして背中を通る軌道がストライクになる」という言葉を残ている。

(次号に続く)