闘将野村~弱小企業を一流へと導く新経営理論(第12回)|インタビュー|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
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2020.11.16

闘将野村~弱小企業を一流へと導く新経営理論(第12回)

闘将野村~弱小企業を一流へと導く新経営理論(第12回)
06 埋もれた才能①

 誰もが若いときには、自分の可能性を信じて夢をもつ。いつの頃からか、現実を知って夢をもつことを諦める。そして、俺にも才能があったら別の人生もあったのになぁ~と酒を浴びるのである。

-監督は自分に才能があるといつ頃、気付いたのでしょうか?

野村 才能あるなんて気付かないよ。上手いなというより好きだな。

-チームの中ではずば抜けて野球ができたのですか?

野村 中学3年生で野球部に入って、みんながビックリしたのは覚えている。

-それはすごく練習したのは、はじめからある程度才能があったのからなのでしょうか。

野村 バットなんて持ったことなかったね。

-持ったことないけど、打ったらすごかったっていうのは、やっぱり才能があったんでしょうね。

野村 田舎では軟式の柔らかいボールを使っていて、山へ行って竹を切ってきて、三角ベースは学校の休み時間にしょっちゅうやっていた。それくらいの経験しかないよ。それで野球部は言ってボンボン打てて、自分でもビックリしたんだよ。みんなもすごいなぁって褒めてくれるから調子に乗ってやっていたんだよ。みんな同じだと思うけど、まずピッチャーに憧れるんだよ。ピッチャーやっていたエースが俺にピッチャーやられると困ると思ったのかね。お前絶対にキャッチャータイプだっていうんだよ。胴長短足で、お前が座ると投げやすいって言うから、キャッチャーになったんだよ。

-もしピッチャーをやっていたら、ピッチャーの才能は開花していたと思いますか?

野村 思わない。

-それはやっぱりキャッチャーで良かったのですね。

野村 適材適所、もしあの時ピッチャーを選択していたら・・・。

キャッチャー野村誕生の瞬間である。

野村 プロテストでは「投げる」「打つ」「守る」「走る」の項目があって、投げるテストのときに、1投目が合格ラインに届かなくて、2投目を投げるときに、1年先輩の河内さんという人が「スタートラインから前行け!前行け!」って言うから、お言葉に甘えてスタートラインから5メートルくらい前から投げて難関を突破したんだよ。ついてるよな。本来ならそこで落とされていたよ。紙一重だったな。

-それでスカウトが来なくて、カネボウに就職してからというようになるのですか?

野村 カネボウに行こうか迷ったけど、テストに合格したからカネボウを辞退してプロに入ったんだよ。プロに入ったけど、やっていることといったら1日中ブルペンキャッチャー。

-そこでキャッチャースタートなのですね。

野村 そりゃキャッチャー出身だから。フリーバッティングにも二軍の試合にも使ってくれない。一日中ブルペンでピッチャーの球を受けるだけ。それで夏頃かな。あまりにも不安になってきて、二軍のマネージャーの部屋に行って「一つ教えて下さい」って聞いたんだよ。「我々テスト生は全然試合にも使ってもらえない補欠扱いなんですけど、なぜですか?」って質問したら「やっと気付いたか。本当のことを言ってやるから、あとは自分で判断せぇよ」「何ですか?」って聞き返したら、「実はテストをやる目的は、ブルペンキャッチャーとバッティングキャッチャーを獲るのが主な目的だ」ってよ。

野村監督は昔のことを思い出したのだろうか、吐き捨てるように渋い顔で言い放った。