闘将野村「新経営論」第15回|インタビュー|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
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2018.03.26

闘将野村「新経営論」第15回

闘将野村「新経営論」第15回
仕事のできない経営者
 
-普段、監督は何時頃にお休みになられるんですか?
野村 夜の2時半、3時かな
-朝は何時に起きられるんですか?
野村 昼。
-朝起きるんじゃないんですね。
野村 遅寝遅起き。
-昔からですか?
野村 うん、60年の習慣だよ。銀座のお姉さん方と一緒で仕事が夜だから。夜11時から夜のご飯だから。
-それでいうと、今はまだ昼ご飯という感じですね。

ホテルニューオークラにて夜8時の会話である。

野村監督2軍時代ハワイでのキャンプでの出来事。

野村 今日からハワイのチームとオープン戦っていう時に今日の先発メンバーの発表があって、キャッチャーのレギュラーの松井さんが肩が痛くて休むことになったんだけど、小杉さんは出るとばっかり思ってて怒られて、「小杉!お前は日本帰ったらクビじゃ!」って。そしたら「野村行け!」って言われたの。
-その時は、結果が出たのですか?
野村 ハワイのチームはレベルが低くて二軍レベルだから、手頃な相手でコンコン打てたの。それで送別会で独断と偏見だけど表彰してくれたの。最高優秀選手が飯田徳治さんで新人賞ピッチャーは梅本、野手部門は野村って。「俺だ~」ってなってビックリしちゃって。
-翌年から普通に一軍上がられたんですか?
野村 3年目のハワイキャンプを帰ってからだよ。ハワイのキャンプが終わって、ハワイのチームのオープン戦使ってくれて調子良く活躍できたんだよ。それでも日本帰ったら無理だろうなと思ったんだけど公式戦も使ってもらったんだ。
-すぐに結果出ましたか?
野村 初ヒットが出ない。公式戦26打席目かな、25打席ノーヒットだ。
-それはやっぱりプレッシャーがあったということですか?
野村 何も分からないよ、教えてもらってないし。
-一軍の球が違ったのか、プレッシャーで緊張してただけなのでしょうか?
野村 二軍の時にずっとネット裏から一軍の試合見てたんだよ。当時は真っすぐとカーブ、シュートの時代で、カーブが大きいとそれが打てなくてさ、お客さんにまで有名になっちゃって、カーブは打てない野村♪ってそれぐらい変化球が駄目で三振続けてたんだよ。よく使ってくれていたけど、何で使ってくれていたかは分からない。何か将来性が見えたのかな。自分で言うのもおかしいけど、こいつしっかりしてるなっていうことは監督自身が感じていたのかな。
-そのカーブもいつ頃から順応するようになるんですか?
野村 業界でも悪い言葉なんだけど、山を張るっていうことは恥なんだよ。あのバッターはどんなバッターだと誰かに聞かれた時にあいつは山張りだってバカにする言葉なんだよ。だから山を張らずに、ストレートに合わせながら変化球に対応していく、そういう理想像があったんだよね。それをやってたら三振ばっかりしていて、変化球がからっきしついていけない。そこで自分で覚悟決めたんだ。こんなことしてたら俺せっかく掴んだチャンスも逃がしちゃうと思ってね。俺は山を張って生きる!ってそう決めたんだ。「山張り」って言われてもいい、バカにされてもいい、そう思って俺は山を張らないと変化球に対応していけないと、幸いにもキャッチャーだったからね。

事業を始めてみたはいいけど、上手くいかない。当初の自分の思い描いていた通りにならないということはよくある話である。
野村監督は、今までに何度か「俺は天才じゃないんだよ」と口にした。才能がないから考えるしかなかった。だからオール―スターでは、ほとんど打てなかった。なぜなら、セリーグのピッチャーはほとんど初めて見る選手だからだ。

会社が赤字であるならば、次の方法を考えるしかない。いつまでも過去の栄光にすがっていても仕方ない。時に見栄やプライドは、経営の邪魔になる。「私はできない経営者だ」と自分に言い聞かせることで、はじめて見えてくることもある。