地域で異なる初期費用の商慣習
賃貸住宅に入居する際には初期費用として、仲介手数料の他に「敷金」や「礼金」がかかります。しかし、この制度はいつからあるのかご存知の方は少ないと思います。今回はこの独特の商慣習の歴史について紐解いていきたいと思います。
まずは「敷金」です。これはいわば預かり金のようなもので、入居中に家賃の滞納が発生した場合や、過失で室内に破損や損失が生じた際に、その修繕費用をこの中から差し引きます。諸々の諸経費を差し引き、残った金額については返金されます。では、この「敷金」という制度はいつ頃からあるのでしょうか?
その歴史は意外と古く、江戸時代にまで遡ります。起源とされるのは、結婚時に妻の実家が持たせた持参金だと言われています。当時は離婚をする場合、夫は妻から受け取っていた持参金を全額、妻に返すしきたりになっていました。これが時代を経るごとに敷金へと姿を変えてきたというのが、一般的な定説です。
一方「礼金」はどうでしょうか。これは、部屋を貸してくれる大家に対して支払うお礼金で、「敷金」と違い、退去時に戻ってくることはありません。“入居者=お客様”という現代的な考え方からすると、「なんでお礼金を支払わなければならないのだ」となるかもしれません。ではこの「礼金」という制度はいつ頃生まれたのでしょうか。
いくつかある説の中で有力なのは、大正時代に起きた関東大震災をきっかけに生まれたというものです。震災では家屋の倒壊や火災によって多くの人が家を失いました。結果、貸家の需要が急激に高まりましたが、当時は今のように貸家が有り余っていた時代ではありません。当然ながら、借りたくても借りられないという人も続出しました。しかし、そうした状況の中でも、なんとか貸家を借りることができた人々は大家に対して、「家を貸してくれてありがとうございます」という気持ちを込めてお金を支払いました。これが「礼金」の始まりというわけです。
もう一つ、高度成長期に生まれたとする説もあります。地方から単身、東京へ上京する学生の親が、「息子のことをくれぐれもよろしくお願いします」という気持ちを込めて、お礼金を大家に送ったというものです。どちらの説が正しいのかを判断することはできません。しかし、大学の多い東京や京都で「礼金」制度が定着していることを考えると、後者の説の方に分があるように思えます。また、震災直後の混乱した状況の中で、「礼金」を支払うほどの経済的な余裕をもった人々が、慣習として定着させるほど多くいたと考えるのには少々無理があるように感じます。
余談ではありますが、「保証金」についても触れておきたいと思います。これは京都・滋賀を除く関西や、九州の一部の地域で、敷金の代わりに用いられてきた制度です。意味合いとしては「敷金」と同じです。しかし、呼び方が違うだけかと言えばそうではありません。最大の違いは、「保証金」は敷引き制度と表裏一体になっていることです。前述したように、「敷金」を預かっている場合は、退去の際に滞納した家賃や修繕にかかった費用を差し引き、残りはすべて借主に返金されます。滞納がなく、修繕の必要もなければ、敷金の大半が戻ってくるというわけです。しかし、敷引き制度においては、退去時に差し引かれる金額が入居する時点で設定されています。例え滞納や過失による室内の破損などがなかった場合でも、敷引きとして記載されている金額については一切返金されることはありません。しかも、汚れがひどかった場合などは、これとは別にさらに修繕費などを請求されることもあります。敷引きされる金額が「礼金」と同程度だというのであれば、名目的な違いとして考えることもできます。しかし、実際にはそうではなく、保証金・敷引き制度においては、敷金・礼金制度よりも費用が高額になるケースが多いと言われています。
敷金・礼金は、それぞれ最大2ヶ月分というのが相場です。例えば家賃6万円の物件で、敷金と礼金がそれぞれ2ヶ月の物件であれば総額は24万円。未滞納で室内の修繕に一切費用がかからないとすると、退去時には12万円が戻ってきます。一方で保証金は、平均で家賃5ヶ月分というのが相場だそうです。敷引きの平均は3ヶ月分ということなので、6万円の物件だと保証金は30万円必要で、退去時には12万円が戻ってきます。返金額は両者同じですが、借主の負担は保証金・敷引き制度の方が1ヶ月分多くなります。
最近は賃貸住宅の空室が増えているため、これらの初期費用は引き下げられつつあります。また、過失がないにもかかわらず、入居者から多額の費用を徴収する敷引きもしづらくなってきているため、関西や九州でも敷金・礼金制度を導入するところが増えています。もしかしたら近い将来、保証金・敷引き制度はなくなるかもしれません。
賃貸住宅に入居する際には初期費用として、仲介手数料の他に「敷金」や「礼金」がかかります。しかし、この制度はいつからあるのかご存知の方は少ないと思います。今回はこの独特の商慣習の歴史について紐解いていきたいと思います。
まずは「敷金」です。これはいわば預かり金のようなもので、入居中に家賃の滞納が発生した場合や、過失で室内に破損や損失が生じた際に、その修繕費用をこの中から差し引きます。諸々の諸経費を差し引き、残った金額については返金されます。では、この「敷金」という制度はいつ頃からあるのでしょうか?
その歴史は意外と古く、江戸時代にまで遡ります。起源とされるのは、結婚時に妻の実家が持たせた持参金だと言われています。当時は離婚をする場合、夫は妻から受け取っていた持参金を全額、妻に返すしきたりになっていました。これが時代を経るごとに敷金へと姿を変えてきたというのが、一般的な定説です。
一方「礼金」はどうでしょうか。これは、部屋を貸してくれる大家に対して支払うお礼金で、「敷金」と違い、退去時に戻ってくることはありません。“入居者=お客様”という現代的な考え方からすると、「なんでお礼金を支払わなければならないのだ」となるかもしれません。ではこの「礼金」という制度はいつ頃生まれたのでしょうか。
いくつかある説の中で有力なのは、大正時代に起きた関東大震災をきっかけに生まれたというものです。震災では家屋の倒壊や火災によって多くの人が家を失いました。結果、貸家の需要が急激に高まりましたが、当時は今のように貸家が有り余っていた時代ではありません。当然ながら、借りたくても借りられないという人も続出しました。しかし、そうした状況の中でも、なんとか貸家を借りることができた人々は大家に対して、「家を貸してくれてありがとうございます」という気持ちを込めてお金を支払いました。これが「礼金」の始まりというわけです。
もう一つ、高度成長期に生まれたとする説もあります。地方から単身、東京へ上京する学生の親が、「息子のことをくれぐれもよろしくお願いします」という気持ちを込めて、お礼金を大家に送ったというものです。どちらの説が正しいのかを判断することはできません。しかし、大学の多い東京や京都で「礼金」制度が定着していることを考えると、後者の説の方に分があるように思えます。また、震災直後の混乱した状況の中で、「礼金」を支払うほどの経済的な余裕をもった人々が、慣習として定着させるほど多くいたと考えるのには少々無理があるように感じます。
余談ではありますが、「保証金」についても触れておきたいと思います。これは京都・滋賀を除く関西や、九州の一部の地域で、敷金の代わりに用いられてきた制度です。意味合いとしては「敷金」と同じです。しかし、呼び方が違うだけかと言えばそうではありません。最大の違いは、「保証金」は敷引き制度と表裏一体になっていることです。前述したように、「敷金」を預かっている場合は、退去の際に滞納した家賃や修繕にかかった費用を差し引き、残りはすべて借主に返金されます。滞納がなく、修繕の必要もなければ、敷金の大半が戻ってくるというわけです。しかし、敷引き制度においては、退去時に差し引かれる金額が入居する時点で設定されています。例え滞納や過失による室内の破損などがなかった場合でも、敷引きとして記載されている金額については一切返金されることはありません。しかも、汚れがひどかった場合などは、これとは別にさらに修繕費などを請求されることもあります。敷引きされる金額が「礼金」と同程度だというのであれば、名目的な違いとして考えることもできます。しかし、実際にはそうではなく、保証金・敷引き制度においては、敷金・礼金制度よりも費用が高額になるケースが多いと言われています。
敷金・礼金は、それぞれ最大2ヶ月分というのが相場です。例えば家賃6万円の物件で、敷金と礼金がそれぞれ2ヶ月の物件であれば総額は24万円。未滞納で室内の修繕に一切費用がかからないとすると、退去時には12万円が戻ってきます。一方で保証金は、平均で家賃5ヶ月分というのが相場だそうです。敷引きの平均は3ヶ月分ということなので、6万円の物件だと保証金は30万円必要で、退去時には12万円が戻ってきます。返金額は両者同じですが、借主の負担は保証金・敷引き制度の方が1ヶ月分多くなります。
最近は賃貸住宅の空室が増えているため、これらの初期費用は引き下げられつつあります。また、過失がないにもかかわらず、入居者から多額の費用を徴収する敷引きもしづらくなってきているため、関西や九州でも敷金・礼金制度を導入するところが増えています。もしかしたら近い将来、保証金・敷引き制度はなくなるかもしれません。