ダーティーなイメージが強い「周旋屋」
「周旋屋(しゅうせんや)」という言葉をご存知でしょうか?今の若い方は聞いたことがないかもしれませんが、これは今でいう賃貸仲介業者のことを表していた言葉です。ただし、本当の意味は売買や交渉の際に、当事者の間に入って調整を行う人のことで、不動産業者だけを指しているわけではありません。今はもうすっかり使われなくなりましたが、60代、70代の方の中には、どちらかと言うと悪いイメージで今でも使う方がいるようです。
不動産業者が「周旋屋」と頻繁に呼ばれるようになったのは、戦後になってからのようです。戦前の日本では、不動産取引・仲介は「大日本帝国憲法」によって規制されていました。ところが敗戦によって旧憲法は廃止、代わって「日本国憲法」が施行されたことで不動産取引・仲介への規制はなくなり、誰でも自由に不動産仲介業を開業できるようになりました。
この頃から全国的に不動産業者が増え、貸家の“世話をする”という意味で周旋屋とも呼ばれるようになっていくわけですが、一方で思わぬ弊害も生まれました。不動産に関する専門知識やノウハウのない、ヤクザまがいの連中までが不動産業を開業するようになり、次第に不動産業者に対するイメージが悪化していったのです。各地で色々なトラブルも頻発したそうです。当時を知る方が「周旋屋」のことを悪質で胡散臭いと思うのは、こうした過去の歴史があったためだと考えられます。
時は経ち昭和27年、宅地建物取引業法が施行されました。さらに12年後に不動産業が免許制に移行されたことで、悪徳業者は次第に数を減らして行きました。それとともに不動産業者を指して周旋屋と呼ぶ方も段々と少なくなり、今ではもうほとんど使われなくなりました。試しに今年74歳になった不動産仲介会社の元社長に「周旋屋と呼ばれたらどう思うか?」と聞いてみたところ、「俺をヤクザと一緒にするな!」と怒られました。業者にとっても「周旋屋」と呼ばれることは、あまり嬉しいことではなかったようです。
「電貼り」は消費者にとっても重要な情報源
不動産業者の中にはかつて、「電貼り業者」と呼ばれていた悪質な業者もたくさんありました。「電貼り」とは何か、ご存知のない方のために説明しておくと、「街中の電信柱に、許可なく宣伝チラシなどを貼り付ける行為」のことを指します。今でもたまに、袋のようなものを取り付け、そこにチラシを入れているのを見かけることがありますが、電力会社や通信会社の所有物である電柱に無断で貼りものをしているわけですから、これはれっきとした違法行為になります。これが最も流行ったのが、昭和から平成にかけての頃です。街中の電柱という電柱に、所狭しと入居募集のチラシが貼られ、街の景観が乱れるとして、大きな社会問題になりました。全国の中でも特に大阪の状況はひどかったそうです。こうした行為を悪気もなくやっていた一部の仲介業者のことを指して、「電貼り業者」と呼んでいたというわけです。
当時は質やマナーの悪い仲介業者も多かったため、行政が注意喚起を促したところで電貼り行為はなかなかなくなりませんでした。仲介業者も食べるために必死ですから、当然と言えば当然かもしれません。しかしやがて取り締まりが強化されるとともに、集客の手段が情報誌やネットに移行するにつれて、電貼り業者はなくなっていきました。現在、大阪と東京で8店舗を運営している賃貸仲介会社の社長によると、「当時は電柱にチラシさえ貼っておけば、空中店舗でもひっきりなしにお客が来た。部屋探しする側にとっても重要な情報源だった」そうです。「電貼り」行為は決して許されることではありませんが、賃貸業界の歴史を語る上で忘れてはいけない重要な1頁なのかもしれません。
執筆:山本政之(賃貸ビジネスジャーナリスト)
「周旋屋(しゅうせんや)」という言葉をご存知でしょうか?今の若い方は聞いたことがないかもしれませんが、これは今でいう賃貸仲介業者のことを表していた言葉です。ただし、本当の意味は売買や交渉の際に、当事者の間に入って調整を行う人のことで、不動産業者だけを指しているわけではありません。今はもうすっかり使われなくなりましたが、60代、70代の方の中には、どちらかと言うと悪いイメージで今でも使う方がいるようです。
不動産業者が「周旋屋」と頻繁に呼ばれるようになったのは、戦後になってからのようです。戦前の日本では、不動産取引・仲介は「大日本帝国憲法」によって規制されていました。ところが敗戦によって旧憲法は廃止、代わって「日本国憲法」が施行されたことで不動産取引・仲介への規制はなくなり、誰でも自由に不動産仲介業を開業できるようになりました。
この頃から全国的に不動産業者が増え、貸家の“世話をする”という意味で周旋屋とも呼ばれるようになっていくわけですが、一方で思わぬ弊害も生まれました。不動産に関する専門知識やノウハウのない、ヤクザまがいの連中までが不動産業を開業するようになり、次第に不動産業者に対するイメージが悪化していったのです。各地で色々なトラブルも頻発したそうです。当時を知る方が「周旋屋」のことを悪質で胡散臭いと思うのは、こうした過去の歴史があったためだと考えられます。
時は経ち昭和27年、宅地建物取引業法が施行されました。さらに12年後に不動産業が免許制に移行されたことで、悪徳業者は次第に数を減らして行きました。それとともに不動産業者を指して周旋屋と呼ぶ方も段々と少なくなり、今ではもうほとんど使われなくなりました。試しに今年74歳になった不動産仲介会社の元社長に「周旋屋と呼ばれたらどう思うか?」と聞いてみたところ、「俺をヤクザと一緒にするな!」と怒られました。業者にとっても「周旋屋」と呼ばれることは、あまり嬉しいことではなかったようです。
「電貼り」は消費者にとっても重要な情報源
不動産業者の中にはかつて、「電貼り業者」と呼ばれていた悪質な業者もたくさんありました。「電貼り」とは何か、ご存知のない方のために説明しておくと、「街中の電信柱に、許可なく宣伝チラシなどを貼り付ける行為」のことを指します。今でもたまに、袋のようなものを取り付け、そこにチラシを入れているのを見かけることがありますが、電力会社や通信会社の所有物である電柱に無断で貼りものをしているわけですから、これはれっきとした違法行為になります。これが最も流行ったのが、昭和から平成にかけての頃です。街中の電柱という電柱に、所狭しと入居募集のチラシが貼られ、街の景観が乱れるとして、大きな社会問題になりました。全国の中でも特に大阪の状況はひどかったそうです。こうした行為を悪気もなくやっていた一部の仲介業者のことを指して、「電貼り業者」と呼んでいたというわけです。
当時は質やマナーの悪い仲介業者も多かったため、行政が注意喚起を促したところで電貼り行為はなかなかなくなりませんでした。仲介業者も食べるために必死ですから、当然と言えば当然かもしれません。しかしやがて取り締まりが強化されるとともに、集客の手段が情報誌やネットに移行するにつれて、電貼り業者はなくなっていきました。現在、大阪と東京で8店舗を運営している賃貸仲介会社の社長によると、「当時は電柱にチラシさえ貼っておけば、空中店舗でもひっきりなしにお客が来た。部屋探しする側にとっても重要な情報源だった」そうです。「電貼り」行為は決して許されることではありませんが、賃貸業界の歴史を語る上で忘れてはいけない重要な1頁なのかもしれません。
執筆:山本政之(賃貸ビジネスジャーナリスト)