祖父から3代続く風水一家
今でもたまに、占い師と勘違いされることがありますが僕の職業は建築家です。これまで色々な方と仕事をさせて頂いてきました。最初に「家相」「風水」を家づくりに取り入れるようになった経緯について話したいと思います。
父は生まれたばかりの僕を、ある占い師に見せました。そうしたら「この子は仕事を転々とする」と言われたそうです。転々とするって聞くと、定職がないままどんどん落ちぶれていくわけですから、あまり良いイメージにはならないですよね。実際どうだったかと言うと、に言われた通りになりました。でも、色々な仕事をやってきましたが、落ちぶれたことはありません。むしろやった仕事が残って、どんどん増えていったんですね。競輪の評論を書いてみたり、遊びでやった競走馬が当たったりして、遊びが仕事になっているもんだから、今では本業が何だか分からなくなってきているんです。僕も今年で70歳になりましたので、もう少しまともなことをしなくちゃいけないなと思ったりするわけです。
僕がやっている建物の家相は、実はもともとは父が作ってくれたものです。家というものは3代先まで、人生を決めることができます。言ってみれば、爺ちゃんの造った家で孫の人生が変わるわけです。そんなような話を、父から聞かされて育ちました。
ある時、引っ越しして富士山の見える高台に家に移りました。すると父は僕に、「毎日、窓を開けて富士山に『幸せにしてくれ』と言いなさい」というわけです。他にも、どうしてこういう窓になっているのかと、どうして机をここに置くのか、色々な話をずっと聞かされました。
しかし、大学に行って建築学科に入ると、父が言っている家相とか方位とか、風水とかいうものは、誰も言わないんですね。むしろ学校ではこういう話は全然信じてもらえませんでしたね。でも家に帰ると、一級建築士で宮大工でもある父のところに、同業も含めて全国から色んな業者が相談に来る。そうすると必ず「お前ちょっと隣に座ってろ」と言われて話を聞かされるわけです。だから僕は書物でこういうことを覚えたわけではないんです。父も同じで、爺さんから教わり、それを私に伝えたわけです。ですから、僕は家相・風水の3代目です。
まだ、世の中に「風水」なんて言葉がない頃から父は、「これは風水って言うんだよ」と教えてくれました。正式には風水地理で、社会科の科目なんだって言うわけです。「地形とか気候風土とかあるだろう、社会で。実はこれは風水なんだ」と。気候風土を無視して家はできません。だから南半球と北半球とでは作る家が違います。だって太陽が北半球では南に高く、南半球では北に高いんですから。場所と気候風土を無視して建物は建つものじゃない、それを言っているのが「風水」という学問なんです。でも社会科の先生はそんなこと教えてくれません。まして学校では、「鬼門」だなんて言ったら変に思われる。
僕がこういう話を始めたのは30代半ばのことで、今から35年位前でした。住宅展示場に行って、ずいぶん色々な方に話をしましたよ。でも「みなさん鬼門という言葉をご存知ですか?」って聞いてみたら、年寄りたちが来ているにもかかわらず10%くらいの人たちしか分からなかった。さらに「鬼門というのは方位のことなんですけど、どこだから分かりますか?」と言ったら誰も分からなかった。そんな時代でした。それで僕は、日本で建築をする以上、神社・仏閣を作るときに受け継がれてきたこの考え方を無視して家を作る必要はないだろうと考えたんです。無理強いする必要はないんですけど、知らなきゃおかしいいだろうと。でも「家相だ」「方位だ」「風水だ」ということ言うには、名前がなければ誰も聞いてくれない。だから世に出ることにしたんです。
(次号につづく)
今でもたまに、占い師と勘違いされることがありますが僕の職業は建築家です。これまで色々な方と仕事をさせて頂いてきました。最初に「家相」「風水」を家づくりに取り入れるようになった経緯について話したいと思います。
父は生まれたばかりの僕を、ある占い師に見せました。そうしたら「この子は仕事を転々とする」と言われたそうです。転々とするって聞くと、定職がないままどんどん落ちぶれていくわけですから、あまり良いイメージにはならないですよね。実際どうだったかと言うと、に言われた通りになりました。でも、色々な仕事をやってきましたが、落ちぶれたことはありません。むしろやった仕事が残って、どんどん増えていったんですね。競輪の評論を書いてみたり、遊びでやった競走馬が当たったりして、遊びが仕事になっているもんだから、今では本業が何だか分からなくなってきているんです。僕も今年で70歳になりましたので、もう少しまともなことをしなくちゃいけないなと思ったりするわけです。
僕がやっている建物の家相は、実はもともとは父が作ってくれたものです。家というものは3代先まで、人生を決めることができます。言ってみれば、爺ちゃんの造った家で孫の人生が変わるわけです。そんなような話を、父から聞かされて育ちました。
ある時、引っ越しして富士山の見える高台に家に移りました。すると父は僕に、「毎日、窓を開けて富士山に『幸せにしてくれ』と言いなさい」というわけです。他にも、どうしてこういう窓になっているのかと、どうして机をここに置くのか、色々な話をずっと聞かされました。
しかし、大学に行って建築学科に入ると、父が言っている家相とか方位とか、風水とかいうものは、誰も言わないんですね。むしろ学校ではこういう話は全然信じてもらえませんでしたね。でも家に帰ると、一級建築士で宮大工でもある父のところに、同業も含めて全国から色んな業者が相談に来る。そうすると必ず「お前ちょっと隣に座ってろ」と言われて話を聞かされるわけです。だから僕は書物でこういうことを覚えたわけではないんです。父も同じで、爺さんから教わり、それを私に伝えたわけです。ですから、僕は家相・風水の3代目です。
まだ、世の中に「風水」なんて言葉がない頃から父は、「これは風水って言うんだよ」と教えてくれました。正式には風水地理で、社会科の科目なんだって言うわけです。「地形とか気候風土とかあるだろう、社会で。実はこれは風水なんだ」と。気候風土を無視して家はできません。だから南半球と北半球とでは作る家が違います。だって太陽が北半球では南に高く、南半球では北に高いんですから。場所と気候風土を無視して建物は建つものじゃない、それを言っているのが「風水」という学問なんです。でも社会科の先生はそんなこと教えてくれません。まして学校では、「鬼門」だなんて言ったら変に思われる。
僕がこういう話を始めたのは30代半ばのことで、今から35年位前でした。住宅展示場に行って、ずいぶん色々な方に話をしましたよ。でも「みなさん鬼門という言葉をご存知ですか?」って聞いてみたら、年寄りたちが来ているにもかかわらず10%くらいの人たちしか分からなかった。さらに「鬼門というのは方位のことなんですけど、どこだから分かりますか?」と言ったら誰も分からなかった。そんな時代でした。それで僕は、日本で建築をする以上、神社・仏閣を作るときに受け継がれてきたこの考え方を無視して家を作る必要はないだろうと考えたんです。無理強いする必要はないんですけど、知らなきゃおかしいいだろうと。でも「家相だ」「方位だ」「風水だ」ということ言うには、名前がなければ誰も聞いてくれない。だから世に出ることにしたんです。
(次号につづく)