真説 賃貸業界史 第47回「戦後に消えた大地主」|コラム|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
豆知識

2022.03.14

真説 賃貸業界史 第47回「戦後に消えた大地主」

真説 賃貸業界史 第47回「戦後に消えた大地主」
江戸時代、明治時代を通じて一気に増加

 第二次世界大戦終結以前は、日本には多くの「大地主」が存在していた。もちろん今でも、「大地主」と呼ばれる一族はいるにはいるが、戦前のそれと比べるといかにもスケールが小さい。なぜ日本から大地主がいなくなったのか。今回はその歴史を紐解いていく。

「昔はここら一帯の山や土地は、全部○○家が所有していたらしい。戦後にほとんどをお上に召し上げられてしまったから、今ではあそこのお屋敷だけになってしまったが・・・」

 戦前、日本には、広大な畑や土地、山などを所有していた一族が全国各地に存在していた。今と比べると規模が大きく、中には一郡に匹敵する広さを所有していた地主もいたそうだ。
 そもそも戦前の大地主たちは、どうやって土地を増やしていったのか。それを知るためには、江戸時代の土地制度を知る必要がある。
 江戸時代では、1643年に発布された「田畑永代売買禁止令」という法律で、農民間で田畑の売買をすることは禁じられていた。これは、貧しい農家が生活のために土地を売って没落するのを防ぐ目的で制定されたものだ。しかし、実際には抜け道があったようで、富裕農民の農奴となる農民たちが絶えなかった。
 この状況にさらに拍車をかけたのが明治時代に行われた地租改正と田畑映大売買禁止令の廃止だ。地租改正とは、地主に対し、それまで農作物などで収めていた税金を金銭で支払うように義務付けたもので、貧しい農家による土地売却を一層推し進める結果になった。裕福な農家は小作人に成り下がった貧しい百姓たちに金銭の貸し付けを行う金融業に進出し、それで得た利益でさらに土地を買い増し、どんどん巨大化していった。もちろん、大地主の中には、土地を増やす一方で、炭鉱を開発したり、別の事業に投資したりし、戦前の日本の商工業の発展に貢献した者も数多くいた。以前、本連載で紹介した東北の池田家、本間家、齋藤家、島根の田部家なども、こうした流れの中で頭角を現した大地主たちだ。
 しかし、莫大な資産を築いた大地主たちは、戦後になってほとんどが姿を消した。「姿を消した」というと語弊があるかもしれないが、少なくとも戦前に築いた資産の大半を失い、ほとんどは地方のちょっとした金持ちレベルにまで没落した。そう、「農地改革」が実施されたからだ。
 「農地改革」とは、連合国から派遣されたGHQのダグラス・マッカーサ元帥が行った施策で、実質的に大地主の解体を目的としていた。大地主は所有地の大半をタダ同然で買い上げられたため資産規模が一気に縮小。別の事業で財を成していた近代的地主や、買い上げの対象外となった山林を主体とした地主、終戦後に一時的にアメリカの施政下に置かれた沖縄県および鹿児島県奄美群島の地主などを除き、多くが姿を消すこととなった。日本に、江戸、明治、大正を経て、今日まで続く大地主がほとんどいないのは、こうした歴史があったからだ。実際、今でも「大地主」あるいは「不動産王」と呼ばれる規模の不動産資産を所有しているのは、おそらく島根の田部家くらいではないだろうか。
 もちろん、農地改革には賛否両論ある。大地主の解体で農家の貧富の差が解消された点は
大いに評価されているが、一方で、土地の所有者増えたこと都市開発や道路建設の際の用地買収にかかる手間が一気に増え、戦後開発の遅れにつながった。
 日本は資産の承継がしにくい国だ。どんなにがんばって相続対策をしようとも、資産を100%子孫に継承することは非常に難しい。結果、資産は相続の度にどんどん目減りしていく。今、不動産投資をがんばって大地主になっても、それをそのまま子供たちに残したやることはできないのである。もう、日本では歴史に名を残すような大地主が生まれることは二度とないだろう。