真説 賃貸業界史 第24回「空室対策の決定版!ペット共生の誕生」」|コラム|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
豆知識

2020.02.10

真説 賃貸業界史 第24回「空室対策の決定版!ペット共生の誕生」」

真説 賃貸業界史 第24回「空室対策の決定版!ペット共生の誕生」」
ペット共生型賃貸住宅のパイオニア企業「アドホック」
家主自ら企画に参加 福岡の楢崎不動産


 賃貸住宅を差別化する手段として知られる「ペット共生化」。賃貸住宅の大量供給に伴う空室率の上昇、さらにはペット飼育人口の増加で、俄然注目度が高まっている。今回は、賃貸住宅におけるペット共生の歴史について振り返ってみる。

 ペットと暮らすことをコンセプトに造られたペット共生型の賃貸住宅。ここ数年でその数はかなり増えているが、まだまだ稀少性は高い。そのため、一般的な賃貸住宅よりも高額な賃料設定をしても空室になる心配はほとんどなく、入居待ちが出る人気物件も少なくない。
 そんなペット共生型の賃貸住宅だが、一体いつ頃登場したのか?ペットを飼うことができるだけのいわゆるペット可物件に関して言えば、かなり前からあった。漫画家の藤子不二雄や石ノ森章太郎らが若かりし頃に住んでいたことで有名な「トキワ荘」のような共同住宅や江戸時代に登場した長屋などでは、古くから猫が放し飼いにされていた。これもペット可物件と言えなくもないだろう。だが、ペットの習性やメンテナス性を考慮したペット共生物件となると、歴史はそれほど古くない。大手住宅メーカーでさえも、この分野に本格的に参入したのは2000年代に入ってからだ。
 ペット共生型の賃貸住宅の歴史を語る上で欠かすことのできない人物がいる。その人物とは野中英樹氏だ。
野中氏が賃貸住宅のペット共生化に取り組み始めたのは1994年のこと。埼玉県越谷市でアドホックという会社を立ち上げたのを機に、賃貸業界で活動をスタートさせた。まだ本格的なペット共生物件はほとんどなかった時代で、賃貸住宅では基本的に犬や猫を飼うことはできなかった。そんな中で野中氏が始めた取り組みは、当時としてはかなり先進的だった。今では、ペット共生物件で当たり前のように設置されている散歩帰りのペットの足を洗うためのシャワーも、賃貸住宅でいち早く取り入れたのはアドホックだったそうだ。まさにペット共生のパイオニアと言える存在だ。
 事業を始めて3年半後、野中氏はペット共生のノウハウを世に広めるために、ライセンス制度をスタート。全国の建設会社や不動産会社と手を組み、ペット共生型賃貸住宅の普及に乗り出した。東証一部上場で、多数のペット共生型賃貸マンションを手掛けてきたことで知られる植木組(新潟県柏崎市)も、もともとはアドホックのパートナーとなって、ペット共生のノウハウを吸収した建設会社だ。しかし、パートナーも順調に増え、アドホックブランドが業界内に浸透し始めた矢先、野中氏が下した一つの決断が、その後のアドホックの運命を大きく左右することになってしまった。
 2004年、アドホックは当時グッドウィル・グループに属していた介護サービス会社コムスンの出資を受け入れてグループ入り。しかし、経営方針の違いもあり、創業者の野中氏はわずか数年でアドホックを去ることになってしまった。アドホックは言ってみれば野中氏のカリスマ性で成長した会社。野中氏退任後は、順調だったはずのライセンス事業は低迷。事業転換を図り、現在はペットサロン運営やペット向けのケアサービスなどを主要事業として手掛けている。現在は西武グループの一員となり、社名も西部ペットケアと改められている。一方、野中氏は今も、ペット共生型賃貸住宅のコンサルティングをはじめ、ペットに関連したさまざまな事業に関わる傍ら、(一社)犬と住まいる協会の名誉会長として、ペット共生住宅の普及に努めている。
 もう一人、福岡の楢崎不動産を率いる楢崎眞治社長も、ペット共生型賃貸住宅の歴史を語る上で忘れてはいけない人物だ。実は楢崎氏は、不動産会社の社長の他に、家主の顔ももつ。2000年以降、自らペット共生型賃貸住宅の企画に乗り出し、複数の物件を建設。さらに、不動産会社やオーナーの相談に乗るなどして、家主の立場でペット共生型賃貸住宅の普及に努めている。
 ペット飼育人口の増加を背景に、徐々に増えつつあるペット共生型の賃貸住宅。普及に貢献した人物は他にも何人かいるが、まずはパイオニアとも呼べる人物2人を紹介した。機会があれば、別の方も順次紹介していければと思う。