真説 賃貸業界史 第20回「業界大手創業者のルーツとは? 大東建託、ハウスメイト、シノケン、etc…」|コラム|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
豆知識

2019.09.16

真説 賃貸業界史 第20回「業界大手創業者のルーツとは? 大東建託、ハウスメイト、シノケン、etc…」

愛知の名門ゼネコン出身の大東建託創業者

 賃貸業界を代表する大手企業の創業者も、いきなり思い付きで不動産会社を起業して成功したわけではない。不動産業界での経験があったからこそ、今の成功がある。業界トップの約110万戸の賃貸住宅を管理する大東建託(東京都港区)の創業者・多田勝美氏も、同社を立ち上げる前は愛知県の建設会社に勤め、土地活用のノウハウを学んだ。今回は大手不動産会社創業者のルーツを探る。

 大東建託の創業者で、同社を業界トップの大企業に育て上げた多田勝美氏は1945年、三重県で生まれた。高校卒業後に入社したのは小糸製作所で、この時はまだ、不動産の世界はまったく未知の領域だった。そんな多田氏が地主向けのアパート営業と出会ったのは、小糸製作所を辞めてから間もなく勤め始めた貝沼建設。同社は名古屋を代表する賃貸住宅建築のパイオニア企業で、昭和中期頃にはすでに、建築から管理までを一貫して行うビジネスモデルを完成させていた。多田氏はここで、1年だけ営業の仕事に従事した。以前、本紙記者が別の媒体の関係で当時の多田氏を知る人物に話を聞いたところ、その営業力はすさまじかったそうだ。
 貝沼建設で土地活用か営業のイロハを身に付けた多田氏は、わずか1年で同社を退社。そして後の大東建託の前身となる大東産業を、名古屋市内で創業した。自ら地主営業に奔走した結果、同社はメキメキと業績を伸ばし、瞬く間に全国区へと名乗りを上げ、業界トップ大企業へと成長を果たした。多田氏本人はと言うと、2011年に同社会長を退任し、現在は自ら設立した別の会社で、オーストラリアのタワーマンション開発などを手掛けている。

友人の提案がきっかけで始まったハウスメイト

 約22万戸の賃貸住宅を管理するハウスメイトグループの創業者である井関清氏(故人)が管理業に進出したのは、大和ハウス工業に勤務していた友人から「うちの物件を管理してくれないか」と依頼されたことがきっかけだったという。当時の井関氏、井関商事(後のハウスメイト)という自身の会社を立ち上げ、大和ハウス工業と協力する形で農協組合員に対して、アパート建築を提案していた。今でこそ、大和ハウス工業をはじめとするハウスメーカー各社は、建築から管理までを一つのパッケージとして提案するのが当たり前になっているが、昔は竣工後をフォローする体制がなかった。このことを問題視した友人は、井関氏に目を付けて話を持ち掛けたというわけだ。
 この提案に乗った井関氏は、間もなく管理業をスタート。大和ハウス工業指定の管理会社として管理戸数を増やし、業界トップクラスの会社にまで成長させた。賃貸業界への貢献も大きく、2001年からは(公財)日本賃貸住宅管理協会初代会長も務めた。

成功のカギは「ロフト付きアパート」との出会い

 投資用アパート開発最大手のシノケングループ(福岡市中央区)を率いる篠原英明社長は、1986年に新日本不動産(福岡市早良区)で不動産のキャリアをスタートさせた。新日本不動産は1976年設立の不動産会社で、九州北部エリアを地盤に投資用不動産の開発や販売、管理などを手掛けている。実績の中で特に際立つのは、九州で初めて「ロフト付きアパート」を開発したという点だ。福岡では今も昔も、アパートと言えばロフト付きが当たり前だが、これはもとを辿れば新日本不動産から始まっているわけだ。篠原氏もここでトップクラスの営業成績を納め、25歳で独立してシノハラ建設システム(現シノケン)を設立。サラリーマン層をターゲットにした自社開発の投資用ロフト付きアパート販売で業績を伸ばし、2002年にジャスダックへの上場を果たした。同社の成功はロフト付きアパートの存在なしでは語れない。新日本建設との出会いがなかったら、もしかしたら今のシノケンはなかったかもしれない。

独自のビジネスモデルを作った若き社長

 若い社長も一人採り上げておく。最近はもっぱら悪い方で世間を賑わせてしまっているTATERUの古木大咲社長だ。古木氏は鹿児島市出身。父の他界をきっかけに福岡に移住し、21歳の時に福岡を地盤とする総合不動産会社、三和エステートに入社した。清掃業務や営業、Web企画などに携わった後、25歳で独立してTATERUの前身となるインベスターズを設立。デザインに重きを置いたアパートが評判となり、競争の激しい福岡のアパート市場で一気に名を挙げた。リーマンショックの影響で苦しんだ時期もあったが、土地を持たない独自のビジネスモデルの開発に成功し、2015年に東証マザーズに上場し、翌年には東証1部に市場変更した。その後の不祥事については本紙8月号で既報した通りだが、いずれにせよ三和エステート時代に培った営業やWeb企画の経験が、後の成功につながったことは間違いないはずだ。古木社長は今年40歳とまだ若い。失敗を糧として、是非ともTATERUの復活に尽力してもらいたい。