真説 賃貸業界史 第8回「民泊新法施行で注目される短期貸し賃貸の歴史」|コラム|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
豆知識

2018.07.09

真説 賃貸業界史 第8回「民泊新法施行で注目される短期貸し賃貸の歴史」

真説 賃貸業界史 第8回「民泊新法施行で注目される短期貸し賃貸の歴史」
ウィークリーマンションの元祖は 1660億円の借金を背負い自己破産

 6月15日、民泊新法が施行されました。今後は、定められたルールの中であれば、アパート・マンションを宿泊所として、旅行者などに貸し出すことができます。年間貸し出し日数を180日以内抑えなければならないなど、一定の規制はありますが、賃貸住宅を活用した新しいビジネスとして注目されています。今回は、民泊で注目される短期貸しの賃貸ビジネスの歴史について振り返りたいと思います。
 賃貸住宅を1年ないし2年のような年単位ではなく、もっと短いスパンで貸し出す方法は、実はかなり前からあります。みなさんもよくご存じの「ウィークリー」や「マンスリー」という方式が、それに当たります。
 日本で最初に、この「ウィークリー」という形態でマンションの貸し出しを始めたのは、ツカサの川又三智彦氏という方です。今から約35年も前のことです。「よんよんまるまるわんわん♪」というCMが流行り、一世を風靡しました。当時のCMは、今でもYOUTUBEなどで観ることができます。
 川又氏の実家は家主業を営んでいて、木造アパートを何棟か所有していました。収入もそこそこあったそうですが、家業を継いだ1970年代頃から、鉄筋コンクリート造のワンルームマンションが増えはじめ、次第に入居率が低下。そこで、この状況を何とかしようと考え出したのが、アパートを短期で貸し出すというものでした。こうして1983年5月に、日本発のウィークリーマンションが誕生しました。
 ウィークリーマンションはすぐに大人気となりました。これを見た金融機関は、こぞって川又社長に「融資したい」と申し出てきたそうです。当時は丁度バブルが始まった頃で、不動産の価格がどんどん上がっていた時代です。川又社長もこのチャンスを逃さまいと、どんどん銀行から融資を受け、新しい物件を増やしていきました。数棟の木造アパートから始まったウィークリーマンションは、あっという間に全国4000室を超えました。最盛期には、資産総額は3000億円を超えていたそうです。一方で、借金の額も見事なもので、川又社長はウィークリーマンションを始めてからの7年間で、銀行から1500億円もの借金をしたそうです。
 しかし、良い時は長くは続きませんでした。バブルの終焉とともに、川又社長の持つ不動産の価値も大きく下落。最盛期に3000億円あった資産価値は、300億円にまで減ってしまいました。すると銀行も手のひらを返したように、借金の返済を迫るようになり会社の経営はひっ迫しました。結局、1999年にウィークリーマンションの経営権は米投資会社リーマン・ブラザーズへ売却されました。これは現在、ウィークリーマンション東京を経て、マイステイズ・ホテルマネジメントに継承されています。川又氏自身はその後、高齢者関係などの事業にチャレンジしましたが、リーマンショックの影響などもあって、2010年に会社と個人で1660億円もの借金を残して自己破産しました。現在は、福島県でデイケアサービスをやっているそうです。自己破産したとはいえ、根っからの事業家のようです。
 短期貸し賃貸の歴史を語る上で、もう一人忘れてはいけないのが「ミスタービジネス」を作った、泉ハウジング(茨城県神栖市)の今泉正勝氏(故人)です。首都圏の住宅メーカーや不動産会社に務めた後、家族を伴って縁もゆかりもなかった茨城県に移住し、不動産会社を立ち上げました。管理も増え、売り上げも右肩上がりで増えていましたが、バブル崩壊を機に状況が一変。家賃保証していた管理物件に空きが続出し、経営が傾きかけました。そこで、場所柄、長期出張で来る技術者が多かったことに目を付け、家具・家電付きの月貸し賃貸ビジネスを始めました。やがて同じように空室で苦しむオーナー、管理会社が全国にいると知るや否や、このビジネスモデルをフランチャイズ化し、全国に「ミスタービジネス」のネットワークを増やしていきました。残念ながら、今泉氏は2016年に70歳で他界されましたが、そのネットワークは今も健在です。
 川又氏から始まった短期貸し賃貸は、現在も多くの企業が手掛けています。民泊というビジネスモデルがこれから、賃貸業界でどのような歴史を刻んでいくのか、動向を見守りたいと思います。