闘将野村~弱小企業を一流へと導く新経営理論~(第1回)|対談|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
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2019.10.21

闘将野村~弱小企業を一流へと導く新経営理論~(第1回)

本紙連載の「野村監督『新経営論』」が幻冬舎から出版された。今号から、加筆・修正を加えた書籍版を掲載する。

2016年7月東京のホテルにて

 本紙(住生活新聞)の読者は経営者や起業家も多い。今回のそんな読者から要望の多かった『新経営理論』を掲載したいと思い、是非にと野村克也氏に対談をお願いした。言わずと知れたプロ野球の名監督である。
 球団における監督の立場は、野球という実務での最高指揮者だ。会社でいえば社長にあたるだろう。
 経営されている方々にとっては、投資・運営・教育・シェア・金主・人材不足など多くの悩みを抱えて運営している企業がほとんどだろう。
 野村氏は多数の球団の監督を渡り歩き、それまで目の出なかった選手までも活躍させるその手腕は「野村再生工場」と言われた。今回、対談をお願いした理由だが、弱小球団を強くしていくその過程は、今起業している中小企業にとって、人も金もそろった大企業の成功事例を知るよりも面白いと思ったからだ。
 そこには、現代にも通じる『新経営理論』がある。
 野村氏の成功に至るまでの苦悩や、人の使い方、オーナーとの確執。そこには共感できる中小企業の悩みがある。
 この対談は、今後の経営の糧になれば幸いだ。

(聞き手)住生活新聞
 
 対談開始にあたって野村克也氏は、「俺に経営なんて、お門違いじゃないか」とにやりと笑って答えた。もう80歳を過ぎる野村氏だが、テレビと変わらずなんともチャーミングで優しい目をしている。

-長い間、監督業をされていましたが、昔の選手と最近の選手では育て方は違うのですか?

野村 180度違う。自分が選手だった時、当時の監督は軍隊経験者だから、教え方も軍隊方式だった。冷静に考えると、自分が影響を受けた監督っていうとやっぱり鶴岡さん(※)だけだね。
 鶴岡さんは敵球団の選手をめちゃめちゃ褒める。だが自分のチームの選手はけちょんけちょん。「お前らよう見とけ、あれがプロだ!見習えよ!」と。

-監督は、その時どう思われたのですか?

野村 人間結局みんな自分がかわいい。まぁ、自己愛で生きているわけだから、ましてや俺はテスト生で入ったから褒め言葉が欲しいわけよ。褒めて欲しい。
 鶴岡監督は、褒めないので有名だったんだ。褒められた人は誰もいないんだよ。その監督と球場ですれ違ったの。今まで挨拶しても返事もしてもらったことがなかったのが、「おはようございます!」って言ったら、その日は機嫌が良かったのか、「おう、お前ようなったな」って。20年いたけど、後にも先にも褒められたのこれ1回だけ。すごい自信になった。あぁ、認めてもらえたんだと、と。あの感動は、今でも耳に残っている。

 私の前には、監督ではない、選手時代の野村選手がいた。その目は、先ほどまでの厳しい目と違い、若者の明日を見る目だ。鶴岡監督もまた、野村監督という名監督を生んだ名監督にだった。

※鶴岡一人(1916年-2000年)
プロ野球選手・監督、野球解説者。南海ホークスの黄金時代を築いた日本プロ野球史を代表する名監督の一人。